連投、恐縮ながら、イベントが続きましたので、投稿しちゃいます。
どうも、こんにちは、藤澤ふたたびです。
千鹿頭神社の記事、そういえば、去年も投稿した!と思いました。去年は、御柱として奉納する立木の伐採(山出し)を、うちの会社でお手伝いさせてもらったのでした。(詳しく読みたい方は、2016年4月の投稿を探してみてくださいね。)
千鹿頭神社は、その昔、「千鹿頭神」という神様に、シカの頭をたくさんお供えした、というのが由来だそうで、諏訪大社ともゆかりのある、神社です。
この神社の独特なところは、社殿が「神田」側と「里山辺林」側と、2つの本殿が並立しているところです。千鹿頭神社のある神田地区は、近世のはじめまで松本藩領でしたが、元和4年(1618年 ※真田丸で注目された大阪冬の陣・夏の陣から4・5年後のことですね) からは、この神社のある千鹿頭山の尾根から南側が高島藩領、北側が松本藩領となり、尾根が両藩領の境となりました。
それで、現在では2つの地区にまたがって、祭礼を執り行っている、ということのようです。(詳しいところは、勉強不足でわかりません!間違っていたら、ごめんなさい!)
当日は、神社では、4つの御柱が立つのですが、2つずつ、神田側、林側で立てる習わしになっております。我々がお手伝いさせてもらったのは、林の方で、この日に備えて法被(はっぴ)までご準備いただきました。気合入ってますね!
私も、本祭は初めて参加しましたが、やっぱり数えで7年に1度(ですよね?)、いよいよ大盛況でありました。
実際に、どんな仕組みで御柱が立って行ったか、その辺りも写真撮りたかったのですが、私なにせ初めてだったもので、ロープを引っ張ったり、あちこち動いているうちに、撮りそびれてしまいました・・・笑!(でも、ご安心を。カメラ隊長&ブログ隊長のK山さんが別で撮ってくれていますので、またいずれ掲載してくれるはず。)
快晴に恵まれ、風も穏やかで、お祭りも盛り上がって大成功!
ケガや、事故もなく、なによりでございました。皆さん、大変おつかれさまでした。
地元の方々、氏子のみなさんも、愉快なメンバーで、快く受け入れてくださり、うちの会社の面々も気持ちよく、しっかりと役割を全うできたと思いました。改めてではありますが、この場をお借りして御礼申し上げます。
無事に終わって、食べて飲んでの直会(なおらい)で聞いたお話の中で、とても興味深かったのが「7年後年齢を重ねてまた会う人、7年に1度しか会わない人、今回だけ会う人というのがある。人が移ろっていきながら、だけどお祭りは、続いていく、というのが面白いところだ」というお話でした。確かに、お祭りの形は、変わらないけど、参加するメンバーや、そのメンバーたちが作った当日の雰囲気はその場で、今回限り。同じ人でも、7年の歳を重ねると、また違う人。一期一会というか、不思議な感覚です。祭りのあとの、なんだか解放感と、寂しくもあり、安堵感もあり、というボーっとする、あの感覚がしばし、余韻を残していました。
ヨイサ!ヨイサ!
皆さんのご多幸とご健康をお祈りして。
また良いお祭りが続いていきますように!
ヨーイサー!!
ふじさわ